西陣の織物は、宮廷用の織物の技術が民間に移出されたもので、もともと宮中の織部司の差配による官営工場で製織されていた。応仁の乱後、大舎人座と呼ばれる室町時代の綾織の座の流れを汲む人たちが西陣跡(いまの西陣の地)に集まり、綾錦、金襴緞子などの高級織物の生産地として発展。元禄時代には、西陣160余町と呼ばれたほどの大機業地に成長した。
しかし、元治元年(1864)、禁門の変の大火は市街の4分の3を焼き払い、さらに5年後の明治2年(1869)、東京遷都は京都の産業に壊滅的な打撃を与えた。
西陣の復興と近代化は、明治5年のフランス、翌年のオーストリア研修留学生たちが、ジャカード、バッタンなどの洋式機械を持ち帰ったのを機に始まり、ジャカードの普及と技術革新の波は、西陣織物を伝統的なものに近代風のデザイン、図柄を加えて今日の西陣紋様織物へと発展してきたのである。